2008-12-02
2008-10-27
消えない傷
ある時、柱に傷をつけて叱られた。
いやだなあ、歳がばれてしまう。
「月光仮面が終わってしまった」
そう書いた。
白状すると、白い布をかぶってサングラスをかけた人が悪い人をやっつける話、ということ以外は何も覚えていない。でも、子供の私はどうやら、泣きたくなるくらい月光仮面が好きだったらしい。そうして、その気持ちをそのまま、居間の柱に小さな爪で刻んでしまったのだ。
叱られて、なんだか取り返しのつかないことをやってしまったような気がしてきた。
この柱の傷は、二度と消えないのだ。
私はけがをしてもまた元通りになる。とげが刺さった指先にあいた穴は、あっという間になくなっているし、切りすぎた爪はまたすぐに伸びてくる。すりむいて血がでた膝小僧だって、気がついたら元のようにつるつるの肌に戻っていた。だから、柱の傷だって・・・。そんな風に思いたかった。そのうち元に戻るよね、と。
もちろん、そんなことあり得ないこともよくわかっていたのだが。
もう一度柱を眺めてみて、悲しくなった。
樹木として生きていたときだって、つけられた傷が完全に消えることはなかっただろう。傷ついたところから樹液が滲み、やがて傷が盛り上がってきて、中身にさらなる害が及ぶのを防ごうとするからだ。
けれど、根から切られて製材されてしまったこの柱には、血液のように体内を走る樹液はもうない。生命活動を止めてしまっているのだから。この柱は、私の家の一部になるために、樹木としての命を終えたのだから。
ほんの気休めにしかならないとわかっていたけれど、傷をつけたあたりを手でさすってみた。傷は消えないけれど、傷ついたところが少しでもなめらかになるように。
柱は、ほんのり温かくなった。
どくん。と、小さな鼓動が聞こえたような気がした。
いやだなあ、歳がばれてしまう。
「月光仮面が終わってしまった」
そう書いた。
白状すると、白い布をかぶってサングラスをかけた人が悪い人をやっつける話、ということ以外は何も覚えていない。でも、子供の私はどうやら、泣きたくなるくらい月光仮面が好きだったらしい。そうして、その気持ちをそのまま、居間の柱に小さな爪で刻んでしまったのだ。
叱られて、なんだか取り返しのつかないことをやってしまったような気がしてきた。
この柱の傷は、二度と消えないのだ。
私はけがをしてもまた元通りになる。とげが刺さった指先にあいた穴は、あっという間になくなっているし、切りすぎた爪はまたすぐに伸びてくる。すりむいて血がでた膝小僧だって、気がついたら元のようにつるつるの肌に戻っていた。だから、柱の傷だって・・・。そんな風に思いたかった。そのうち元に戻るよね、と。
もちろん、そんなことあり得ないこともよくわかっていたのだが。
もう一度柱を眺めてみて、悲しくなった。
樹木として生きていたときだって、つけられた傷が完全に消えることはなかっただろう。傷ついたところから樹液が滲み、やがて傷が盛り上がってきて、中身にさらなる害が及ぶのを防ごうとするからだ。
けれど、根から切られて製材されてしまったこの柱には、血液のように体内を走る樹液はもうない。生命活動を止めてしまっているのだから。この柱は、私の家の一部になるために、樹木としての命を終えたのだから。
ほんの気休めにしかならないとわかっていたけれど、傷をつけたあたりを手でさすってみた。傷は消えないけれど、傷ついたところが少しでもなめらかになるように。
柱は、ほんのり温かくなった。
どくん。と、小さな鼓動が聞こえたような気がした。
2008-10-26
私が死ぬ日
太陽がゆがんで見える知らぬ間にブラックホールとなった吾ゆえ

自分が死ぬときってどんな感じなんだろうと、考えたことはあるだろうか?
よく、死ぬときは家族や愛する人に見守られて逝きたいという人がいる。だれだってそう思うものなのかもしれない。自分が愛する人には、ひとりぼっちで寂しく死んで欲しくないと思うのだから、自分についてもだれかが見守っていてくれることを期待したくなるのもわかる。
でも、わたしが死ぬときはどうだろう。だれか、いるだろうか。
想像の中のわたしは、ひとりぼっちだった。だれもいない部屋に横たわって、ただ天井と窓からみえる白い雲におおわれた空を見上げていた。
わたしは、寂しく死んでいくのだろうか。
でも、それじゃあんまりだ。何のための人生だったのだろうか。だれの心もつかめないままにわたしは死んでいくんだろうか。
わたしは、微笑みながら死んでいきたいと思った。
その場にはだれもいなくても、わたしにはきっと大切に思う人たちがいる。そばに来てくれなくてもいい、と言えばうそになるかもしれない。その人たちはもう先に逝っている人たちかもしれない。それでも、大切に思える人がいたことに感謝し、いい人生だったと思いながら死んでいきたい。
ほら、あの感じ。音楽を聴いているわけではないのに、頭の中で音楽が鳴っているあの感じ。寝ぼけたときに、だれもいないはずのそこにだれかがいるような気配を感じるあの感じ。
死ぬ前にみえるという人生の走馬燈を眺めながら、「ああ、いろいろやらかしたなあ」なんてニヤッと笑って。
たとえその部屋にだれもいなくても、その時わたしの心はひとりぼっちではないに違いない。
欺瞞かもしれない。それでも、たとえひとりぼっちでも、そんな風に逝けたら満足だ。
人生は一度しかないし、いつかはだれもが死ぬ。そのときが来たとき、まだ後悔してるなんて、文字通り往生際が悪すぎる。どんな人生であれ、自分だけの人生を走り抜けたことに満足し、感謝しながら死んでいくべきなんだよ、だれでも。
よし。そんな風に死ねる自分になろうと思ったとき、寂しさが少し、軽くなった。

自分が死ぬときってどんな感じなんだろうと、考えたことはあるだろうか?
よく、死ぬときは家族や愛する人に見守られて逝きたいという人がいる。だれだってそう思うものなのかもしれない。自分が愛する人には、ひとりぼっちで寂しく死んで欲しくないと思うのだから、自分についてもだれかが見守っていてくれることを期待したくなるのもわかる。
でも、わたしが死ぬときはどうだろう。だれか、いるだろうか。
想像の中のわたしは、ひとりぼっちだった。だれもいない部屋に横たわって、ただ天井と窓からみえる白い雲におおわれた空を見上げていた。
わたしは、寂しく死んでいくのだろうか。
でも、それじゃあんまりだ。何のための人生だったのだろうか。だれの心もつかめないままにわたしは死んでいくんだろうか。
わたしは、微笑みながら死んでいきたいと思った。
その場にはだれもいなくても、わたしにはきっと大切に思う人たちがいる。そばに来てくれなくてもいい、と言えばうそになるかもしれない。その人たちはもう先に逝っている人たちかもしれない。それでも、大切に思える人がいたことに感謝し、いい人生だったと思いながら死んでいきたい。
ほら、あの感じ。音楽を聴いているわけではないのに、頭の中で音楽が鳴っているあの感じ。寝ぼけたときに、だれもいないはずのそこにだれかがいるような気配を感じるあの感じ。
死ぬ前にみえるという人生の走馬燈を眺めながら、「ああ、いろいろやらかしたなあ」なんてニヤッと笑って。
たとえその部屋にだれもいなくても、その時わたしの心はひとりぼっちではないに違いない。
欺瞞かもしれない。それでも、たとえひとりぼっちでも、そんな風に逝けたら満足だ。
人生は一度しかないし、いつかはだれもが死ぬ。そのときが来たとき、まだ後悔してるなんて、文字通り往生際が悪すぎる。どんな人生であれ、自分だけの人生を走り抜けたことに満足し、感謝しながら死んでいくべきなんだよ、だれでも。
よし。そんな風に死ねる自分になろうと思ったとき、寂しさが少し、軽くなった。
2008-10-25
心を描く

ガタガタときのうのヨゴレ流してく洗濯機うたう土曜日の午後
ゆんゆんと雲を鳴らして空を飛ぶあなたが眠る赤い屋根はどこ?
高山辰雄という日本画家の遺作展をみた。
1912年生まれで、昨年秋に亡くなったこの画家は、戦後にゴーギャンの伝記を読んで感銘を受け、その影響を受けたのだそうだ。
なるほどと思える作品が何点かあった。
確かにゴーギャンのようなタッチの絵は、油彩よりむしろ日本画の方がむいているのではないかと思ってしまうような作品すらあった。
人生は試行錯誤なのだなあと、また思った。どんなことも、やってみなければ次のステップは見えてこない。この人もきっと、そういう試行錯誤を繰り返した人なのだろうなあとか。
ピカソが子供の絵をみてうらやましがったという話があるけれども、なんだかすごくよくわかる気がする。
あらゆる芸術に共通するところがあると思うけれど、きっと絵画は特にそうなのだと思う。
心の感じたままに描こうとしても、大人になって高い技巧を持つようになると、ついつい理性が邪魔してしまう。高い技巧を生かしながら、それでも感じたままに描くというのは、ひどく難しいことなのだと思うのだ。
ひどく難しいことなんだよなあと思いながら、展示をみたのでした。
2008-08-19
母の背中

母の背は追い越せても追い越せない25で母になった母を
真夜中に爪を切る母もういいのと親をなくした少女の声で
「親殺し」という言葉があるらしい。
物騒な響きだがもちろん、本当に親を殺すことではない。精神的に親を超えるというか、親から自立することを指しているらしい。
私もそれを超えてきたのだろうか。
小学校何年生のころだろうか。母が出張に行くことになった。だが、彼女の目的地に向かって台風が進んでいた。いつも大して気にもとめなかった台風。だがその時だけは、台風でお母さんが死んでしまったらどうしようと考えたら、夜も眠れず、ひとりで夜中まで泣いていた。
バカね〜と、母は言った。私も、バカだな〜と思っていたが、でも涙が止まらなかった。母を失うのが怖くてたまらなかったあのとき、私はまだ親を超えていなかったのだと思う。
たぶんそれより後、小学校高学年のあるとき、風邪をひいて家で寝ていた。職場の昼休みに様子を見に帰ってきてくれた母を見て、「あれ?こんなに小さかったっけ?」と急に不安になった。
そろそろ背丈も、同じくらいまでになっていたのだろう。
そう思った後も、私はまだ甘ったれで、ずいぶん母を手こずらせた。でも、あの日あのときからすでに、「その日」が来ることはどこかで気付いていたと思う。どこかで、「その日」が来ることを恐れていたのだ。
いつから、母のことを自分と同じひとりの人間として眺められるようになったのだろうか。
私が親殺しを無事に通過できたことだけじゃなくて、母がうまく子離れしてくれたことにも感謝しなくてはいかないんだろうな。
2008-08-15
大奥
肌と肌触れてなくてもぬくもりが伝わってくるそばにいるよ
このところ、漫画にはまっています。
もともと好きなんですが、うちは狭いのでなるべく買わない主義。歩いて5分ほどのところに図書館(漫画喫茶)もあるし。
しかし、ここしばらく何か火がついたように漫画を買ってます。
今日購入したのはこの本です。『大奥』。
実は、作者のよしながふみさんの『きのう何食べた?』が好きで、コミックが出ているのを知って先日買ったのですが、その本に以前から面白いと噂を聞いていた『大奥』も彼女の作品だと書いてあり。出版社違うのに、こんな風に宣伝するものなのですね。
『きのう何食べた?』は美形の弁護士さんと美容師さんのゲイカップルの話で、主に弁護士さんが料理を作る段取りと料理そのもののすばらしさと、「私にもできそう・・・」と思えてくる雰囲気が魅力で、半分は料理本の代わりに買ったのでした。
『大奥』は、以前から知り合いから熱烈に勧められていたのを上の空でスルーしていたのですが、『きのう・・・』の作家さんと同じということを知った途端に火がつきました。だって、絶対面白い。ちなみに、テレビドラマでヒットしたあの大奥とはまったく別物です。
江戸時代の初期にある疫病によって年頃の男子だけが大量に死んでしまい、ついに世の中が女子中心に変わっていきます。もちろんそれは幕府も同じこと。大名家を継ぐのはもちろん、将軍家の世継ぎも女子が立つようになっていく・・・・・・という話です。
驚きも納得もせつなさもちゃーんとそろってます。
蔵書が増えてしまいそうで困ります。
このところ、漫画にはまっています。
もともと好きなんですが、うちは狭いのでなるべく買わない主義。歩いて5分ほどのところに図書館(漫画喫茶)もあるし。
しかし、ここしばらく何か火がついたように漫画を買ってます。
今日購入したのはこの本です。『大奥』。
![]() | 大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301)) (2005/09/29) よしなが ふみ 商品詳細を見る いまのところ、3巻まで出ています。 |
実は、作者のよしながふみさんの『きのう何食べた?』が好きで、コミックが出ているのを知って先日買ったのですが、その本に以前から面白いと噂を聞いていた『大奥』も彼女の作品だと書いてあり。出版社違うのに、こんな風に宣伝するものなのですね。
『きのう何食べた?』は美形の弁護士さんと美容師さんのゲイカップルの話で、主に弁護士さんが料理を作る段取りと料理そのもののすばらしさと、「私にもできそう・・・」と思えてくる雰囲気が魅力で、半分は料理本の代わりに買ったのでした。
![]() | きのう何食べた? 1 (1) (モーニングKC) (2007/11/22) よしなが ふみ 商品詳細を見る 私も、材料を無駄にすることなくお料理できるようになりたい・・・・。 |
『大奥』は、以前から知り合いから熱烈に勧められていたのを上の空でスルーしていたのですが、『きのう・・・』の作家さんと同じということを知った途端に火がつきました。だって、絶対面白い。ちなみに、テレビドラマでヒットしたあの大奥とはまったく別物です。
江戸時代の初期にある疫病によって年頃の男子だけが大量に死んでしまい、ついに世の中が女子中心に変わっていきます。もちろんそれは幕府も同じこと。大名家を継ぐのはもちろん、将軍家の世継ぎも女子が立つようになっていく・・・・・・という話です。
驚きも納得もせつなさもちゃーんとそろってます。
蔵書が増えてしまいそうで困ります。



